うちわの歴史
うちわは古くから利用されていました
うちわは古くから利用されていました 平成9年5月、丸亀うちわは国の伝統的工芸品に指定されています。
風情あふれる丸亀うちわは、夏に欠かせない風物詩として多くの人に愛されています。

江戸時代には「武士の内職」として、明治以降は「家内工業」で「うちわづくりの技」は脈々と引き継がれてきました。

その後、金刀比羅宮参拝の土産物として、男竹丸柄で朱赤に丸金印の渋うちわが考案され、天明年間には丸亀京極藩士が女竹丸柄うちわの技術を習得し、藩も藩士の内職に奨励したため、うちわづくりが急速に広がりました。

天保年間には、丸亀港が金毘羅船の発着で賑わい、土産物のうちわも飛ぶような売れ行きを見せていくようになり、全国に丸亀うちわの名声が高まっていきました。

近年、他産地ではうちわづくりの業者数が激減している中、唯一、地場産業として事業者が集積し、全国の90%シェアをほこり名実共に「日本一のうちわ」産地となっています。
時代と共にうちわの使い方は大きく変わっていった
時代と共にうちわの使い方は大きく変わっていった 丸亀のうちわづくりがここまで発展した理由の一つに、うちわの材料がすべて近くで間に合ったことが挙げられます。

竹は伊予(愛媛県)、紙は土佐(高知県)、ノリは阿波(徳島県)というように、材料はすべて近くに産地がありました。

丸亀では永く「うちわの竹骨」の製造を行って全国のうちわ産地に出荷していた歴史があるため、またこの地にうちわ職人が多く在住していたために各地の特色あるうちわを丸亀で製造する機会が多かったので、他の産地の要素が「本来の丸亀うちわ」に融合されるようになりました。

そのため、現在では、丸亀でできる総合的な竹うちわを「丸亀うちわ」と呼んでいます。

交通が不便だった江戸時代はもちろんのこと、現在でも材料が手近に求められることは大きな強みとなっています。

時代の変化と共に竹うちわの技術は機械化されたり、材料を中国から仕入れたり、丸亀も例外ではありません。
また、優れた技術を持った「職人」は高齢化し、人数も減ってきています。

しかし、丸亀は「地場産業としてのうちわ産業」を維持するために、後継者育成事業や様々なPR活動を積極的に行ってきました。
また、伝承された技術がある地域だからこそ「中国産」と言えども手を抜かず、厳しい眼で「うちわづくり」を常に監督しています。
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